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遠州掛塚(砂町)で明治から昭和40年頃まで、刳り物や挽き物などの木工製品を製作していた「くりものや」 2017年秋、二人の三代目により、くりものやが復活しました。

初めて「おじいちゃん」を感じた日

父の実家には独楽がひとつだけ残っているけど、うちにはくりものやの製品が何もないなーって思ってました。
でもね、あったんですよ!


母が使っていた「くけ台」です。
押入れを整理していたら出てきたそうです。
裁縫のとき縫い目が引っ吊らないようにするために、この上に座布団を敷いて座り、洗濯バサミのようなクリップで布の端を引っ張った状態にする道具だそうです。
そう言われてみれば、子供の頃母が使っているのを見た記憶があります。

父によれば、これを作ったのは祖父の忠作さんだそうです。

母は結婚前にこれを買って使っていて、それを作った人の息子だとは知らずに親父と結婚して嫁入り道具として持ってきたのだそうです。
縁だね〜。

でもさ、小さい頃はずっと見てたのに、「これは、お前のおじいちゃんが作っただよ」なんて一度も教えられたことがないから全く知らなかったよー(笑)

実は、自分の祖父母は4人とも自分が生まれるずっと前か、物心つかないうちに亡くなっていたので、今まで自分が「孫」であることを意識したことはありませんでした。
周りの友達は「おじいちゃんにお小遣いもらったー」とか「夏休みはおばあちゃん家に泊まりに行くの」とか言ってたけど、自分にはそんな経験もないし。
大人になってから思うのは、逆に孫としての責務(?)も果たしていないってこと。
入院してるおじいちゃんの横で「早くよくなってね!」と励ますとか、おばあちゃんの最後を看取るとか…
母方の祖母のお葬式だけは覚えてる。
人がいっぱいいて、白い箱の扉が開いてて、周りの大人に何か言うように促されて…
それが唯一のおばあちゃんの思い出。

父は祖父の話をほとんどしなかったので、おじいちゃんをリアルに感じたこともなかった気がします。このブログのHNは「忠作さんの孫」ですが、祖父に「さん」を付けちゃったのも、気恥ずかしさなのか、よそよそしさなのか、なんとなくそうなっちゃいました。

この話、ブログのどこかで書こうと思っていて、だけどなんとなく「あざとい」感じがして書けなかったのだけれど、今は素直に書ける気がする。


今こうして、祖父が轆轤で挽いた鉋の跡を見つめたり、手で触れたりしながら、初めておじいちゃんの存在を実感しています。
いい年して、祖父ではなく「おじいちゃん」って言いたい気分なのです。

今年の4月に、突然「くりものやをやろう!」と思い立ったのは、5月に亡くなる直前の伯父の魂がそう働きかけてくれたのかもしれないし、それとも「やいやい、このままでは『くりものや』が途絶えっちまうやー」と考えた忠作さんが、「やー、お前やってみんかやー?」と誘ってくれたのかもしれません。

まだほんの少しだけれど…昔とは機械も刃物も違うけれども…木工旋盤で木を削る経験をしたおかげで、当時のおじいちゃんがどんな姿勢で、どんな動作で削っていたのか姿が想像できるから、おじいちゃんを身近に感じることができてるのかな?
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