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遠州掛塚(砂町)で明治から昭和40年頃まで、刳り物や挽き物などの木工製品を製作していた「くりものや」 2017年秋、二人の三代目により、くりものやが復活しました。

死ぬ前にまた見れるとは思わなかったよ



従姉妹に頼まれていた「こんぱち」(お正月に神様にお餅をお供えするためのお皿)ができたので、「取りに来てね」と伝えておいたら、伯母も一緒に来てくれました。

親父の兄弟は、上が女二人、その下に男4人。
存命なのは、この伯母と親父の二人だけになっちゃいました。
今年93歳になる伯母は、耳が遠いのと、歩くのに杖が要るほかは、しっかりしていて元気です。
「くりものやってて怖くはないけ?」
と、真っ先に心配をしてくれるのは、気を抜くとケガをするって知ってる、くりものやの娘だからですね。
ありがとね。気をつけてやるでね。
「織り屋の糸巻きの仕事をたくさんやっただよ。忙しいときは、男の衆と一緒におばあさ(私の祖母ハナさん)も作っただに」と教えてくれました。
それは初耳。
下の写真、左から2番目が祖母 ハナさんです。


手近にあったオニグルミの板で、小さなお皿を作るところを見てもらうと、「死ぬ前にまた見れるとは思わなかったよ」と同じことを何度も何度も言いながら、懐かしそうに目を細めてました。
いやいや、まだまだ長生きして、何度でも見に来てよ、おばちゃん


そうそう。
おばちゃんが来ている間に、これが届きました。

以前にも何度か書いたように、ひいじいちゃんは木挽き(今の製材屋)をしていた(ひいおじいちゃんの大鋸)わけですが、その道具である大鋸です。
掛塚の鍛冶屋さんが作った大鋸が、栃木の骨董屋さんで売られているのを発見して早速購入(^_^)

「大おじいさは、こういう鋸で大きな丸太を切ってただに」と、伯母はこれも懐かしそうでした。

この大鋸については、これからも何度か登場することになると思います。
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